何故人を殺してはいけないのか?

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まずコレ(http://www.m-net.ne.jp/~doba/goto/log/2003log/kodomo.htm)を読んでください。
上のリンク先は長崎の中学生の事件を受けて
TBN(http://tbn.to/)というサイトで組まれた特集です。
要約するのは大変なんで、長いですけど読んでください。
サイトのタイトルは微妙ですがマジメなニュースサイトさんです。

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閑話休題

タイトルのリンク先を読んで
僕自身「何故人を殺してはいけないのか」を考えてみた。

自分の出した答えは「自分がされたくないことは人にはしない」
ということで、逆に「自分がしてほしいことは人にしてあげる」

つまり「人を呪わば穴二つ」「情けは人のためならず」って
昔の人が言ってたことを自分なりに解釈しただけなんです。

「自分は殺されたくなし、誰か知ってる人や身内、恋人
その他いろんな身の回りの人も殺させたくないから
殺しちゃいけない。」
これが僕なりの人を殺しちゃいけない理由なんです。

しかしリンク先の文章中で主役の少女が述べるのは
「だったら殺(や)られる前に殺(や)れ」ということ。
読みながら自分が例えば父親になって、子供にこう言われたら
果たして子供が納得できるように話ができるだろうか、って考えた。
「それじゃダメだろ」としか言えない気がする。
言葉に詰まってしまう。

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ちなみにこんな時に必ず出てくるハムラビ法典
「目には目を歯には歯を」の法文ですが
これは「目を取られたら目を、歯を取られたら歯を取りなさい」という
法文ではなく「目なら目を取るまで歯なら歯を取るまでにしておきなさい」
というものだったそうです。

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結局、自分でいくら考えてもこれ以上進めなくて
何故ダメかって話が進んでいかないような気がして
相方に訊いてみた。

「その人(殺される人)にはその人の人生があるから」

相方はこう言いました。

今まで何年も何十年も生きた人ならその人は
きっと親に愛されて、周りの人に大切にされて生きてきただろう
もしかしたら誰か愛する人がいたかもしれない
恋の相手としてじゃなくて人生の伴がいたかもしれない
子供がいたかもしれない
子供はまだ小さいのかもしれない
大きくてもまだまだ心配だろう
その人だってまだ先には何十年も人生があったんだ
辛い道のりが残されていたかもしれないけど
良い出会いがあったかもしれない。
子供が大きくなって孫を見せてくれたかもしれない
その人が残念ながらまだ幼ければ
先の長い明るい人生が待っていたかもしれない
素晴らしい恋をするかもしれない
尊敬できる友と師に出会えたかもしれない
それは何も特別なことじゃない
はたから見れば毎日退屈で平凡なサラリーマン、主婦、学生、その他
すべての人がきっとそういう人生を歩む。

それを止める権利は誰にもない。

正直、こんなことに気づかなかった自分に多少幻滅しました。
人が生きてるってことは今そこにいるってだけじゃなくて
過去と未来と繋がってるってことを忘れていました。
それと同時に人と繋がってるって思い出しました。

誰かが言うかも知れない。
「それでも終わってしまえば関係ない」
残された関係する何百、何千っていう人の人生をきっと
変えることになっても?
特に親しい友人、家族は一生黒いものを腹にしまうことになっても?

誰かが言うかもしれない
「自分にはそんな明るい未来はない」
だから殺すのか?
関係ない人の人生を奪うな。

人と人が繋がって過去から現在、未来と時間が流れて
人は人を必要として、誰かの為に生きて、
自分のために生きている人がいる。
そういう、ちょっとクサイけど当たり前だと思うことを
普通のこととして認知できる世界になれば
もうちょっと殺伐としないんじゃないかなと思う。

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PS
辛い人生を歩んできた、歩んでいる人には上の文章は
脳みそに花畑でも出来てるような奴が書いたようにしか
見えないかもしれません。
実際、僕の脳みそには花畑が咲いてるでしょう。
でも、そういうメデタイ頭じゃないと考えれないこととかもあると思います。
それとも、あくまで殺伐とした、隣の一家に殺されるかもしれないような
そんな世界を危機として煽った方がいいですか?

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