ひいばあちゃんが亡くなった

一昨日の早朝に母の実家のひいばあちゃんが亡くなりました。
もうじき96歳を迎えるところでした。


27日、朝起きて母親から訃報を聞きました。意識不明で入院してからかなり経つので心積もりはありました。普通に仕事に行き、上司にその旨を告げ、葬儀のため、今日休む許可を貰いました。昼休みにはそんな長生きをした親戚なんていないよ、みたいな話を上司や同僚と談笑しました。あまり、実感はありませんでした。
ただ、「最後に会ったのはいつだろうな」と思って、盆に顔見せたときは嬉しそうに僕の名前を呼んでくれたことを思い出して、少し寂しくなりました。
夜、仮通夜に行ったら、きれいな顔できれいな服を着て布団に横になっていました。寝ているようでしたが、いつもみたいに声をかけることはできませんでした。少し、実感が沸きました。


28日、仕事がたまたま早くに終わったので通夜に間に合うことが出来ました。焼香して、お経を上げて、こんなときにしか集まらない親戚同士の談笑を眺めていました。
立派な祭壇や、花がいっぱいあって、迷わず逝けそうだなと思った。こんなに送り出してくれる人がいるんだもんな。


今日、昼から葬儀がありました。親戚が集まって他愛も無いことをたくさん話していました。弟がまだ小学生の従弟の子守のようなことをしていました。全員が喪服を着ていることを除けば、まるで盆か正月でした。長生きの人が死ぬっていうのはこういうものなのかな、と思いました。
葬儀が終わってお棺に花を添えました。一変して、みんな辛そうで、悲しそうで、寂しそうでした。僕も泣いていました。
ひいばあちゃんは僕が幼い頃にはもう不自由なところが多くて、食事も先割れスプーンを使って、あまり堅いものは食べられませんでした。毎日、裏の林まで散歩に行くのが日課でした。なぜか、よく怒られて、結構怖かったけど、好きでした。
そういうのを思い出したわけじゃなくて、最後に顔を見ると思うとただ、悲しくなったんです。
火葬場まで行くのに、霊柩車までお棺を運ぶのを手伝いました。若い男手ということで。おばあちゃん、結構重かったんです。あんなちいさいのに、ちゃんと重かったんですよ。
火葬場でもう一度お別れして、焼きました。迷わず逝けたと思います。


実家に帰って、親戚一同酒を呑みながら夕飯をいただきました。




坊さんが、お経上げたあとに少し話していったんですけど、その中に「長生きは一番の徳である」っていうことを言ったんですけど、それは、その最期が、こういう風に、縁者がいっぱい集まって、盆にも正月にも法事にも集まらないぐらい集まって、その繋がりを意識して、縁を深めるということが、人にとって物凄く大事なことなんじゃないかなと思いました。